数日前、普段行かない中古CD屋さんを訪れたところ、「猿の軍団」の中古DVDボックスが陳列されていた。その時、午後5時50分。「あと10分で全商品2割引のタイムセールが終わります。」という店内アナウンス。ははぁ、このお店は住宅地にあるから平日の日中の売上増進を狙って午後6時まで商品を値札の2割引で売るのだな、それにしても値札の2割引だと新品価格の約6割引か、、、などと考えていたところまでは記憶がある。気がつくと私の部屋に白いボックスが。しまった。。。
ひさびさにやっちゃった感のある買い物。
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「猿の軍団」というのは、1974年ころ確かTBS系で放映されていた連続モノのテレビ番組。ちょうど「日本沈没」のテレビ版と同じころ放映されていた。当時私は小学生だったが、どちらもたいへん思い出深い番組である。例によって超簡略なあらすじをご紹介しておく。
ふとしたことから人間でなく猿が支配する世界に迷い込んだ次郎ら3人は、ゴードという人間の男に出会う。ゴードは、その世界にも昔は人間はたくさんいたが、皆、猿に殺されてしまったという。この世界にゴード以外の人間はいるのか、人間は猿と共存できるのか、それともそれは所詮無理なことなのか。執拗に4人を追う猿の軍団の追跡の手を逃れ、そして人間の手がかりを求め、旅する4人が最後に知った真実と4人の決断とは。。。
いうまでもなくいくつかのアメリカ映画の影響を感じる。また、特撮は、今評価できるレベルのものではない。人間が未来へ行くという着想も、今では誰でも考え付くものである。面白いのは、この作品の世界観とその世界に横断的に存在する2つの考え方である。この作品に描かれた世界には、3つのグループしかない。それは、人間と、猿の農村と、猿の軍団(=警察)である。人間は、自ら考え、証拠で説得しようとする。猿の農村は、考える以前の状態である。猿の軍隊は、考えることを放棄した集団である。そして、人間の存在が触媒となって、猿の農村と軍隊とが考え始める(ここは当時の時代背景にはなかったことである。)。その考える対象とは、共存か相互排除か、という2つの考え方であり、これがこの作品の主テーマとなっている。猿の国の内乱は共存の方向で収束する。しかし、4名の人間は、最後は「猿の国で生きていくなんてムリ」という結論で一致したように思われる。そうだとすれば、かなり思い切った結論である。
なぜ思い切っているか。この作品で「野生の猿」が登場する場面が何度かある。猿は、「野生の猿は野生の猿であり、猿とは違う」という。人間からみれば同じ猿。でも猿から見ると違う。そして違う猿もまた共存している。それなのに、人間と猿とは違うというだけで同じ世界で共存できないのか。実際、人間社会に、「自分とあれとは違う」という根拠のない考えがいかに多いことか。皆違うところと似たところがある。それを自ら考え、違う者に対しても証拠で説得するのが人間ではなかったのか。それをなぜ放棄して逃避するのか。だからこの作品の世界において人間は滅び、猿に取って代わられたのだろうか(ここは当時の時代背景どおりである、というべきなのだろうか。学者が研究を辞める、という結末もまた、示唆に富む。)。
正直なところ、小学生のころによくこんな番組を見ていたな、と思う。