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2009年1月30日 (金)

小学校の時、冬の何週間か、朝一番に校庭をみんなで走るという行事があった。その名も「耐寒かけ足」。

校庭を周回するだけで「マラソン」というのは気が引けるし、「かけ足」だけでは意味不明なので、「耐寒かけ足」と名付けた人の苦心はうかがわれる。それにしても、クソ寒い時に校庭を単調に走らされる児童にとっては、「寒」の文字を見るだけでもつらい。「校庭マラソン」とか、テキトーなネーミングのほうが救いがある。私の母校であるこの小学校には過去に非常にまじめな教師がいたようで、運動会も「体育学習発表会」と呼んでいた。ただ因習に従っているだけの学校行事に、逐一レゾンデートル(存在理由)を求めてしまう厳しさを感じる。

「耐寒かけ足」に話を戻すが、なぜ児童を真冬に走らせるかという理由を考えると、「耐寒」、つまり、寒さに対して健康に冬を過ごす、というくらいのことしか思いつかなかったのであろう。実際の効果は科学的ではなく、今なら、外気温5度前後の状態で体操着で小学生を外に放り出すのは、児童虐待だと言われかねない。しかし、当時、子供は誰も「虐待」なんて言葉は知らなかったから、「耐寒かけ足、いやだ」としか表現できなかった。

***

小学校の時も、児童で新聞を作っていた。

新聞といっても、出るのは数か月に1回だから、新聞でなくチラシだが。

そこに、「寒風まさつ」の記事を書いた子がいた。

今考えると「乾布摩擦」のことだろうと思うが、「寒風」の中で乾布摩擦をしているビジュアル的な臨場感、小学生のくせに乾布摩擦かい、あんたはじいさんかい、という奇抜さから、きわめて異彩を放つ記事だった。

小学生が作る新聞だから、教師が事前にチェックしないわけはない。たぶん、

「寒風?(しばらく沈黙)うん、まあこれはこれでいいわ。個性だし。」

みたいな感じでクリアしたのであろう。

児童がこれを家庭に持ち帰って親に見せたところ、親が

「これ乾布……。まあええわ、一生懸命書かはってんから、いわんときや。」

と述べたことも容易に想像される(なぜか関西弁ですいません。)。

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2009年1月27日 (火)

「誰も守ってくれない」を見てきた。

殺人容疑者の妹とそれを保護することになった刑事。2人に向けられた社会の非難と母の自殺。その中で2人が見つけたものとは、というようなストーリー。

佐藤浩市さんがずっと出ている。主演だから当たり前なのだが、個人的には、ここ1週間、誰よりも佐藤浩市さんの顔を見ている時間が長い。

よく、多忙で家族より職場の同僚と過ごした時間のほうが長いなどと冗談をいう人がいるが、それはあくまで過ごした時間であって、その間デスクワークをしたりもしているのだから、ずっと同僚の顔を見ているわけではない。誰の顔を見ていた時間が長いかというと、意外と、家族でも同僚でもなく、俳優だったりする。

時間だけでなく、印象の濃さもあるしな。

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2009年1月26日 (月)

20090125204553 頭の中でスケジュールを作ってしまって、他人がそれより遅いことを嘆く。これが私の欠点である。

しかしまあ、これも程度問題である。何の程度かというと、

①頭の中でできたスケジュールの速さ

②他人の遅さ

である。

要するに①と②とがマッチ(一致)していれば、ストレスは発生しない。①と②とがマッチしないとき、①に問題があったのか、②に問題があるのかは、それぞれの程度問題である。

先方に手紙を出したい。その日のうちに案を作って送ってあげたのに、返事がない。そうするうちに、先方から先に連絡が来ちゃった。そうすると、元の案ではだめになる。「来ちゃったね」というと、「ああ、来週くらいに出そうと思ってました」。。。

それは、②に問題があるのだと思っている。

まあ、②を責める気はない。私が期待し過ぎたということだ。

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2009年1月25日 (日)

「感染列島」を見てきた。

こういう映画って、未知の病気との格闘から原因の解明(ウイルスの特定、うまくすれば治療法の発見)に至るという流れ。つまり、わりとパターンの読める映画。

差がつくのは、病気の症状と、それが蔓延していく表現の迫力。それを担うのが脇役(とCG)ということになる。

単なる脇役といえない迫力をこの映画に持たせているのが、佐藤浩市さん。病気と格闘する側と病気に罹る側との境界線である。加えて、カンニング竹山さんが、この映画に妙な深みを与えている。「妙な」というのは、病気に罹る側でなく、病気と格闘する側の歪みのようなもの、そこにある恨みをむき出しに表現しているからである。

世の中を動かしているのは、カネではないという人がいる。もっとも大きな力は恨みだという人もいる。

この映画は、そんなところにまで立ち入っている。

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2009年1月23日 (金)

4月に学校で新しいクラスができて最初になにをするか。いろいろあるが、まず「○○係」を決めなければならない。

もっとも、小学校の1年では、それぞれの児童に係を務めるほどの分別や社会性が備わっていないから、本格的な「係」が現れるのは、小学校の2年あたりからかな。高学年になるに従って、係の種類が増えていく。

あるとき、私は、何気なく「連絡係」2名のうちの1名に自薦した。というのは、その年の前年に「連絡係」を務め、なんだか伝令みたいで面白かったから。

しかし、クラス替えで担任が変わってM教諭になっており、児童のメンツも変わっていた。私は、それを考慮していなかった。つまり、「連絡係」は自分の信じる「連絡係」であると軽信して、「連絡係」になったわけだ。

その後数日して、同級生から、「今日、○○さんが風邪で休んでるけど、連絡係だったよね」といわれた。ここで、その同級生が、前の年にM教諭のクラスだったことがポイント。M教諭とその同級生とは言語が共通だが、私はM教諭のクラスになるのは初めてだから、彼らの言語は必ずしも理解していなかったということだ。

同級生の言葉に、「そうだけど」と答える私。もう1名の連絡係も、「ボクもそうだよ」と答えている。

「いや、だから、連絡係だよね」とその同級生。

しばらく3名で押し問答をして、ようやく、「連絡係」とはどういうものかがわかった。

M教諭とその門下生の間では、「連絡係」とは、

「病気等で休んだ児童がいるとき、その児童の住所の近所に住所のある同級生が給食の残りや配布物を届けに行くのだが、その日にM教諭が各児童に対して述べた諸連絡事項を紙に書いて、給食の残りや配布物を届けに行くべき同級生に渡し、その同級生をして給食の残りや配布物とともに紙に書いた諸連絡事項を交付せしめる役務を担う児童」

なのである。

ややこしいし、第一、つまらない。届けに行く同級生がちょこちょこっとメモ書きすれば済むことではないのか。

なぜそんなことを思い出したかというと、最近、ある人が別の人を「日本的な」と評したことからである。実際に会ってみて、「これが日本的なのか」と思った。

言葉の意味は、人によって違う。

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2009年1月21日 (水)

たいしてやることないはずなのに、忙しい。今、午後10時だが、昼メシを食ってなかったことを思い出した。

***

もう10年以上前だと思うが、「山河遥かなり」という映画がテレビで放映されているのを見た。ナチスドイツ敗戦後の戦災孤児がアメリカの将校に拾われ、言葉・服装などがだんだんアメリカっぽくなっていく不安感がよく出ていた。つまり、こんなに変わってしまって、アメリカ移住の話まで出てきて、果たして生き別れた肉親に再会できるのだろうかという。。。

その映画は私の中で名作として記憶された。私の中には、そんな映画が3つほどある。どれもDVD化されず、再び見ることのない映画であった。

ところが、最近、「山河遥かなり」を偶然CD屋で見つけた。500円DVDとして。

500円だから買わない理由もない。

10年ぶりに見た「名作」の感想。

んー。まあまあかな。(笑)

ドイツの「ハンス坊や」の歌を思い出した。7年間世界を巡る旅ですっかり変わってしまったハンス。故郷に還っても誰も彼だとわからない。でもすぐにわかったのは。。。

10年前にこの映画を見た時は、「ハンス坊や」の歌はよくは知らなかったのであろうな。それまでに一度、きいたことはあったはずなのだが。

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2009年1月15日 (木)

「今日会った人には気をつけろ」という占い。

「今日会った」というのは、初対面の人のことを言っているのだろうが、該当者は2名。

どっちのことだろう。両方かな。どっちの人も、「え?」と思うようなことを言っていたしな。

数日後にふたをあけてビックリというパターンだろうか。。。

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2009年1月13日 (火)

20090110144112 とあるきっかけで、スタッドレスタイヤにした。

しかし、あまり雪の上を走る機会がない。かといって、滑りやすいイメージのあるTFで本格的に雪国に行く勇気もない。

宝の持ちぐされならぬ、スタッドレスのドライ路面ぐされ。

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2009年1月 6日 (火)

私が小学校を卒業したときに担任だった先生は、20代の若い先生だった。地元の教員養成所を出て教師になって、最初に1年生、2年生を担任し、そのあと、我々の学年を5年、6年と担任していたのだった。つまり、最初に卒業させたのが我々。

その先生から年賀状が来て、「残り少ない教師生活を」云々と書いてある。

まだ若いでしょ、と突っ込みを入れたくなるが、若かったのは当時。

思えば卒業文集に彼の妙な似顔絵を描いて載せたのは私だが、どちらも歳をとったわけだ。

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2009年1月 4日 (日)

正月気分から次第に普段モードへ移行中。

「いろいろありましたが○○となりました」という年賀状。何があったのか知らないが、きっといろいろあったんだろうね。

以前、「△△はしたのですが単純な理由で今××をしています」と書いた年賀状をもらったことがあったのを思い出した(△△と××は無関係)。

日本語の婉曲の美か。それとも言うのもうっとうしいから読者が勝手に想像しろということか。

そんな人たちにも私自身にも、今年は今年の風が吹く。

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2009年1月 2日 (金)

20081230140257_2 年末年始は、九州に行ってきた。

比較的天気がよかったのは西と南のほうだけだったので、主にそっちのほうに行った。このあたりはフェリー航路が便利であり、クルマ好きといっても利用しない手はない。

天候のさえない阿蘇の外輪山を下っているとき、ラジオ放送でサンテグジュペリの「夜間飛行」をやっていた。妙に聞き入ってしまった。

旅行は、そのとき楽しいがすぐ忘れてしまう旅行と、天候のせいや何かでそのときはいまひとつだが後で良い記憶として思い出せる旅行とがある。

今回のは、どちらかというと、後者かな。

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20081230133545 天草でも好きなのが大江天主堂。

最近周辺が整備されてしまって往時の良さが薄れた気もするが、地元の人にとってはここが世界の真ん中なのだから、観光客が最果て感を期待しても仕方のないことなのだろう。

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20081231093930_2 天草から鹿児島への入り口となる中田港。簡単な桟橋しかなく、フェリー乗り場にありがちな混雑もない。ナビに告げられなければ見過ごして通り過ぎただろう。

四角く囲われた空間がサンテグジュペリのいう別の世界への入り口のようにも思われたのは、辺りの静寂のせいだろう。

実際には、わずか30分の船旅だ。

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